『キバリオン』:古代エジプトとギリシアのヘルメス哲学の研究
1908年初版『キバリオン』の表紙(パブリックドメイン画像) 1908年、「Three Initiates(三人のイニシエート)」という匿名名義で出版された『キバリオン』(正式タイトル『古代エジプトとギリシアのヘルメス哲学の研究』)は、古代の叡智ヘルメス哲学の教えを伝える書物であるen.wikipedia.org。著者は公には匿名だが、その正体はニューソート運動の先駆者ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン(1862–1932)であると考えられているen.wikipedia.org。本書は伝説的賢者ヘルメス・トリスメギストスの秘教思想に基づく7つの原理を提示し、宇宙の法則を探究する内容となっている。これら7つの「ヘルメスの原理」はヘルメス哲学全体の基盤を成すものとされているen.wikipedia.org。
『キバリオン』は古代・中世のヘルメス文献(ヘルメティカ)に見られる思想――例えば「全ては心」「上にある如く下も然り」といった哲学的精神主義や、万物が雌雄一対の極を持つという概念――をいくつか共有しているが、全体としては近代のオカルティズム、特に著者アトキンソンが属したニューソート(新思想)運動の影響をより強く受けているen.wikipedia.org。また、本書は現代ヘルメス文献の一つと見なされ、20世紀以降のニューエイジ思想にも広く影響を与えてきたen.wikipedia.org。
著者と出版の背景
『キバリオン』は1908年にシカゴのヨギ出版協会(Yogi Publication Society)から刊行された。ヨギ出版協会はフリーメイソンが運営し、シカゴのMasonic Templeに本拠を置いていた出版社であるtemplarkey.com。著者は「三人のイニシエート(Three Initiates)」という匿名を名乗っており、その正体は長らく謎とされてきた。しかし現在では、ニューソート系の作家ウィリアム・ウォーカー・アトキンソンが主要な執筆者であった可能性が高いと考えられているen.wikipedia.org。なお、書名の「キバリオン (Kybalion)」は一見すると古代ギリシア語のようだが、実際にはそのような語は存在せず、古めかしい印象を与えるために作られた造語だと指摘されているen.wikipedia.org。
7つのヘルメスの原理
書中では「ヘルメス哲学全体の基礎となる」7つの原理が提示されておりen.wikipedia.org、以下にその概要を示す:
-
メンタリズムの原理 (The Principle of Mentalism) – 「すべては心である。宇宙は心(精神)の性質を持つ」en.wikipedia.org。万物の根源は普遍的心(宇宙精神)であり、物質世界も含め全てが精神的実体の想念によって形作られているとする。
-
照応の原理 (The Principle of Correspondence) – 「上にある如く下も然り; 下にある如く上も然り」en.wikipedia.org。マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙)の間には常に相応関係があり、異なる次元や階層においても同様の法則が反映されると説く。
-
波動の原理 (The Principle of Vibration) – 「何ひとつ休むものなく、万物は動き、全ては振動している」en.wikipedia.org。あらゆる存在と現象は異なる波動数の振動状態にあり、静止や絶対不変のものは存在しないという原理。
-
両極性の原理 (The Principle of Polarity) – 「あらゆるものは二極を持ち、"対立"するものも本質においては同一であり程度の差に過ぎない。極端は相通じ、あらゆる真理は半分の真理に過ぎず、全てのパラドックスは調和し得る」en.wikipedia.org。この原理では、光と闇や善と悪など一見正反対に思えるものも同じスペクトル上に位置する連続的な現象であり、程度の差こそあれ本質では一つであるとされる。
-
リズムの原理 (The Principle of Rhythm) – 「全てのものは流れ、満ち引きし、あらゆる事象に揺らぎの潮がある。揺れが右に振れればその振れ幅だけ左にも振れる。リズムがこれを埋め合わせる」en.wikipedia.org。宇宙におけるあらゆる運動や現象には周期的なリズムが存在し、万物の進行には上昇と下降のサイクルが伴うとする。
-
原因と結果の原理 (The Principle of Cause and Effect) – 「あらゆる原因には結果があり、あらゆる結果には原因がある。全ての出来事は法則に従って起こり、偶然は法則を知らない者に与えられた名前に過ぎない」en.wikipedia.org。森羅万象は因果律に支配されており、何事も偶然に生起することはなく、全ての結果には相応の原因が存在するという教え。
-
ジェンダーの原理 (The Principle of Gender) – 「ジェンダー(性別)は万物に宿り、全ての存在は男性性と女性性の両原理を内包し、あらゆる次元において性の法則が働いている」en.wikipedia.org。物質から精神に至る全てのレベルで創造原理としての男性的側面と女性的側面が作用し、その均衡によって万物の生成が成り立つとされる。
古典ヘルメス文献との比較
『キバリオン』で提唱される諸原理と古来のヘルメス文献(コルプス・ヘルメティカ等)の教義を比較すると、共通点と相違点の両方が見出される。オカルト研究家ミッチ・ホロウィッツは、キバリオン第一の原理である哲学的精神主義(万物の根源を心とする考え方)が古代ギリシアのヘルメティカにおける思想とも大筋で通じるものだと指摘しているen.wikipedia.org。また研究者ニコラス・E・チャペルは、キバリオンのいくつかの要素――たとえば前述の精神至上主義や、「上にある如く下も然り」の概念、万物が雌雄対の極を持つという考え方――は確かに古代および中世のヘルメス文献に由来している一方で、他の要素(例えば「振動の原理」など)はヘルメス主義とは無関係であると述べているen.wikipedia.org。
さらにチャペルは、キバリオンの思想が伝統的なヘルメス文献と著しく異なる点も指摘する。例えば、キバリオンでは神学的存在を強く想定せず各人の「精神的変容 (mental transmutation)」による自己鍛錬に重きを置いているのに対し、古典ヘルメス文献では神(至高の存在)への崇敬とその神性との合一が中心テーマとなっているen.wikipedia.org。チャペルは総括として、キバリオンは全体的に見て20世紀初頭のニューソート思想に染まり過ぎており、ヘルメス哲学の歴史的伝統を体現したものとは言い難いと結論付けているen.wikipedia.org。
影響と評価
出版以来、『キバリオン』は20世紀のオカルティズムにおいて広範な読者を獲得し、その簡潔な教えは現代の自己啓発やニューエイジ思想にも取り入れられてきたen.wikipedia.org。7原理の中でも「メンタリズムの原理」に示された「心の力」は引き寄せの法則などニューソート/ニューエイジ系のポジティブ思考の教義と通じるものがありtemplarkey.com、本書は秘教的真理の入門書あるいは実践書として頻繁に言及されている。
一方で、伝統的なヘルメス主義の観点からは『キバリオン』の内容が古典の教えを表面的に平易化し過ぎており、真の秘教思想の深みに届いていないとの批判もあるtemplarkey.com。実用的な自己啓発に偏った解釈がヘルメス哲学の霊的・形而上学的な深遠さを矮小化しているという指摘であるtemplarkey.com。それでも本書は100年以上にわたり版を重ね、人々を神秘哲学の世界へ誘い続けている。近年では『キバリオン』を題材としたドキュメンタリー映画も制作され、古代の叡智を現代社会に紹介する試みが続けられているgarrett-thierry.com。