1943年、マカロックとピッツは閾値を越えれば1、越えなければ0を返す論理ニューロンで「加重総和→ステップ関数」という計算枠組みを示した。1949年、ヘッブが同時活動ニューロン間の結合強化を唱え、重みを動的に学習させる動機付けを与える。1956-57年、ローゼンブラットは400素子の光センサーを“網膜層”S-unitに、乱数配線された中間A-unitを経て1つのR-unitへ収束させるMark I Perceptronを試作し、重み付き和+バイアスが正なら発火とし、誤りが出た入力だけ重みを微調整する学習則を実装。この仕組みはハイパープレーンで空間を二分し、線形分離可能なら有限更新で必ず収束することが証明された。視覚受容器発想から生まれたモデルは畳み込みネットやTransformerの線形層にも受け継がれ、1960年代は手書き文字実験で注目されたが、1969年のミンスキー指摘で停滞。1986年の誤差逆伝播で多層化が復活し、新ブームを支える基盤となった。実機は真空管とフォトセルをIBM704に接続したもので、艦船識別など軍用課題を想定して海軍が資金提供した。成果は「見る機械」と報じられAI研究の第一波を牽引した。