ラベル 文学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 文学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年5月6日金曜日

吉本隆明 転向論

転向論

  

戦争体験を主体的にどううけとめたか、という蓄積感と内部的格闘のあとがないのだ。極論すれば、壺井には転向の問題も、戦争責任の問題もなく、いわば、時代とともに流れてゆく一個の庶民の姿があるだけである。また、もしこういう詩人が、民主主義的であるなら、第一に感ずるのは、真暗な日本人民の運命である

戦中に共産主義から転向して戦争協力詩を書き、戦後になると、復党して、他の戦争協力を糾弾する。いずれも安易に行われたとしか思えない。吉本はこの無責任な変節を非難する」吉本隆明論

2016年5月3日火曜日

マルクスその可能性の中心で愛を叫ぶ

マルクスその可能性の中心


  •  思想家が変わるとは文体が変わるということにほかならない。論理的内容が変わっても文体が変わらなければ、彼はすこしも変わっていない

2016年4月29日金曜日

とにかく訳文がうつくしい ドレの神曲 谷口江里也訳

ドレの神曲


  •  ギュスターヴ・ドレの挿絵つきで、ダンテの世界をわかりやすくヴィジュアライズ
  •  谷口江里也の訳がさえている、寿岳文章の訳も良かったが

浮世は目に見えない煙で一杯だ。目は開いていても、見てはいても、結局視てはいないのだ。それに君たちはいつでも、どうして?とすぐに理由を求めようとする。訳が判ったら、それでどうだというのだ?
・「蜂 はどんなに遠くへ行き、花の中に潜り込み向きを違えて出てきても、だれにも教えられることなく、おそらく考えることすらせずに、一直線に巣へと向かう。渡 り鳥が故郷を目指す、流れを超えて川を上る魚は決して誤ることがない。おそらく人間にとって愛とは、そうした初源の力なのだ。

ボルヘスの「神曲」講義