2016年4月23日土曜日

小林秀雄全集〈第4巻〉作家の顔

小林秀雄全集〈第4巻〉作家の顔

 

 日本の小説が散文詩のようなが鑑賞できるのと同じように、日本の批評は小説のような鑑賞ができるものが多くその太祖として小林秀雄の名前を挙げる人は多くいるだろう。多くの日本の批評家と呼ばれる人は、かつて小説家になりたくて、友達に小説家がいたり、詩人がいたりして、その友達の作品を情緒や独特な文体を織り交ぜて語り、分析や副読本というよりは、批評そのものを作品として読ませる、という側面が強い。小林秀雄はそれを方法論として実験的に始めた最初の批評家だ。小林秀雄以前の批評家と、以後の批評家ではそのスタイルや考え方、立ち位置が違うし、川端康成や三島由紀夫、村上春樹が海外で翻訳されて書店に並ぶことがあっても、小林秀雄や後に続く江藤淳、吉本隆明、柄谷行人といった人が翻訳されて海外の書店に並ぶことは今までなかったろうし、今後もあってほしいがなかなか難しいかもしれない。そもそも小林秀雄が相手にした「作家」と言われるなりわいの人々が、海外では理解されづらいからだ。

 一方で小林秀雄の評伝もエッセイも、どれを読んでもはっきり言って日本人にはめちゃくちゃ面白い、そして小林秀雄は自己分析で、なぜそれが面白いか、ということを方法論としてもちゃんと説明してくれているし、さらに言うならば系譜としては本居宣長あたりが自分の太祖なんだろう、ということも言っている。

 それで、また困ったことに、小林秀雄が語る本居宣長も、めちゃくちゃに面白い。ということになっている。けれども源氏物語が海外の書店で売られることがあっても、その注釈をしてくれた本居宣長が書店に並ぶことはこの先ないような気がするし、これを英語で説明したとしても、本居宣長をどう理解してもうか、ということになると、小林秀雄を説明しないと何のことだかわからないのが日本の批評というジャンルだ。

 一体、批評とは何なんだ、正直すごい長い時間日本の批評に付き合ってきて、愛着もあるが、その機微の伝わらなさに切なくなる。
 例えばロックミュージシャンのエピソード集みたいなものを考えればいいんだろうか。ジミヘンが張り型とってそれが異様にでかかった話、みたいな。人間としての魅力を一旦評伝として伝え、小林秀雄の周辺の人の魅力を伝える、ということも考えたが、やっぱり違う気がする。

 けれども、小林秀雄は近所の爺さんのようだったり、頑固な父親のようだったり、同年代の青年のようだったりして、いつもそばにいる友達のように日本の独特な「作家」たちを語り伝えようとする。自分はいつ消えてしまっても構わないんだというふうに。

 戦争中のことだが、「古事記」をよく読んでみようとして、それなら、面倒だが、宣長の「古事記伝」でと思い、読んだことがある。それから間もなく、折口信夫氏の大森のお宅を、始めてお尋ねする機会があった。話が、「古事記伝」に触れると、折口氏は、橘守部の「古事記伝」の評について、いろいろ話された。浅学な私には、のみこめぬ処もあったが、それより、私は、話を聞きながら、一向に言葉になってくれぬ、自分の「古事記伝」の読後感を、もどかしく思った。そし て、それが、殆ど無定形な動揺する感情である事に、はっきり気付いたのである。「宣長の仕事は、批評や非難を承知の上のものだったのではないでしょうか」 という言葉が、ふと口に出てしまった。折口氏は、黙って答えられなかった。私は恥ずかしかった。帰途、氏は駅まで私を送って来られた。道々、取り留めもな い雑談を交わして来たのだが、お別れしようとした時、不意に、「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」と言われた。
小林秀雄