どうせなにもみえない―諏訪敦絵画作品集
絵画史の中で写実主義はルネサンスに端を発し、その後フランスで保守派の絵画技法となった。その後、保守派の反動から、絵画のメインストリームは印象派の抽象的なアプローチが担うことになる。
写真や映像技術の発達もあり、画家たちが描くものは抽象的な方向に向かう傾向が出てくるのだが、さらにまたその反動でアメリカで写真そっくりに書くようなスーパーリアリズムが60年代から登場する。まさにポップアートの時代で、70年代にはジャンルのオムニ化が極まって、かつてフランスで権威を持っていたリアリズムもたくさんある芸術の選択肢の1つになっていく。
諏訪敦はスペインリアリズムの巨匠アントニオ・ロペス・ガルシアを生んだマドリードでその画家としてのキャリアをスタートさせた。その後、緻密な取材に裏打ちされた絵画制作工程といったものを確立する。
「何かを担架で運ぶ二人の人の表情は、その人たちの手の先にかかる重さによって決まります。・・・もし高さが同じだとしたら、聖櫃を運ぼうと子牛を運ぼうと、金塊を運ぼうと石を運ぼうと、二人は重量の法則の支配だけをうけ、二人の表情にはただその重さしか現れません」(ロマンロラン「ミレー」)
何かものをうつしとって、うつしとったものをありのまま表現する作業には矛盾がつきまとうはずだ。見ている自分と、描く自分と、そしてそれを眺める観客とそれぞれの価値観が異なっている。
ミレーが運動法則にこだわって農民の苦悩を見て書かないのと同じように、緻密な取材に裏打ちされた絵画工程は一方で何かを遮蔽して、こんにちこのようなうつくしいリアリズム絵画に結実する。
ミレーが運動法則にこだわって農民の苦悩を見て書かないのと同じように、緻密な取材に裏打ちされた絵画工程は一方で何かを遮蔽して、こんにちこのようなうつくしいリアリズム絵画に結実する。