2025年9月28日日曜日

夏目漱石の『文学論』(1907)は、単なる文学批評ではなく、心理学的知見を取り込んで文学現象を「科学的に説明する」試みでした。

 

夏目漱石の『文学論』(1907)は、単なる文学批評ではなく、心理学的知見を取り込んで文学現象を「科学的に説明する」試みでした。そこで重要なのは、漱石がどの心理学者を直接参照し、また後世の研究者がどのようにその系譜を位置づけているかを整理することです。

まず第一に、漱石自身が直接参照している心理学者・理論があります。代表はフランスの心理学者テオドール・リボーで、彼の感情心理学は漱石のF+f公式における「f=情緒」の根拠を与えました。またアメリカのウィリアム・ジェームズも重要で、「意識の流れ」や「焦点と周辺(fringe)」の概念が、漱石のF=観念・焦点とf=情緒・雰囲気の二重構造と響き合います。さらに動物心理学者C. ロイド・モーガンの比較心理学、そして美学的参照としてジョン・ラスキンの『近代画家論』も明示的に引用され、文学的「真」の議論に利用されています。

第二に、直接の言及はないが、後世の研究から関連が示唆される心理学者がいます。イギリスのアレクサンダー・ベインは連合心理学を体系化し、注意や習慣、快不快の感情理論を展開しました。漱石はベインを直接名指ししてはいませんが、彼がロンドン留学期に学んだ心理学的枠組みの背景にはベインの影響が濃厚であると考えられています。またハーバート・スペンサーの進化論的心理学も、漱石が採用した「適応」「習慣」「快苦」といった語彙や発想の基盤を成していると指摘されます。

第三に、F/f理論と直結しており関連が明白なものとして、やはりリボー、ジェームズ、モーガンが挙げられます。これらは漱石が直接参照しただけでなく、F(内容=意味)とf(情緒=出来事性)の結合を説明する上で不可欠の支柱となっています。リボーが情緒理論でfを裏打ちし、ジェームズが意識の焦点/周辺構造でF+fの二重性を示唆し、モーガンが習慣と心理発達の観点から「集合的F」の議論を支えました。

第四に、後代理論との接続のために有効な思想家や研究があります。ベルクソンの「習慣記憶/純粋記憶」の二分は、F=脱文脈的な意味、f=文脈的で体験的な想起、という読み替えに直結します。セモンの「エングラムとエクフォリー」も、Fを痕跡内容、fを喚起と情動トリガーと見立てることができます。さらにバートレットの「スキーマ」理論は、意味と文脈の往還というF/f相互作用を再構成的記憶として説明します。そして現代ではタルヴィングが意味記憶とエピソード記憶を区別し、漱石のF=意味/f=エピソードという対応がより明確に照合される基盤を提供しました。その後のバウアーの気分一致記憶、シュヴァルツ&クロアの「感情=情報仮説」、ダマシオの「ソマティック・マーカー」仮説は、f(情緒)がF(意味判断)を方向づける仕組みを実証的に支えています。

まとめれば、漱石『文学論』は当時参照可能だったリボー、ジェームズ、モーガンらの心理学に直接依拠し、ベインやスペンサーの理論的背景を内在化しつつ、Fとfの合成という独自の公式を提示しました。その後、ベルクソンやバートレットを経て、タルヴィングら現代記憶心理学が意味記憶とエピソード記憶を分節化し、漱石のF/f図式と驚くほど自然に接続可能な視野を開いたのです。