2025年9月20日土曜日

ジョージ・ラッセルとリディアン・クロマティック・コンセプト

 ジョージ・ラッセル(George Russell, 1923–2009)は、20世紀ジャズにおける最重要理論家の一人であり、彼の『リディアン・クロマティック・コンセプト・オブ・トーナル・オーガニゼーション(Lydian Chromatic Concept of Tonal Organization)』(初版1953年)はジャズ理論を大きく塗り替えた画期的著作である。ラッセルは結核療養中にこの理論を構築したとされる。彼の目的は、当時のビバップ(チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーら)の複雑なコードチェンジを超え、「より自然なトーナル・グラビティ(調性の重力)」に基づく音楽理論を編み出すことだった。

従来のジャズ理論は、基本的にメジャースケール(アイオニアン・スケール)を中心に発展してきた。しかし、ラッセルは完全5度の積み重ねによる「ピタゴラス的な自然調性」を再検討し、その積み上げによって生まれる**リディアン・スケール(C-D-E-F#-G-A-B)**を新たな「調性の重力中心」と位置付けた。リディアン・スケールはアイオニアンに比べて第4音が半音上がっており、結果的に「安定と浮遊感」を両立させる独特な響きを持つ。ラッセルはこれを「全てのコード、スケール、旋法の母体」とみなし、そこからクロマティックな全12音を整理・序列化した。

この理論は、単なるスケールの置き換えではなく、コード構成、メロディ、即興、作曲、編曲、さらには聴感上の安定性までを再定義する包括的システムである。ラッセルは「Vertical (垂直=和声)」「Horizontal (水平=旋律)」「Peripheral (周辺=クロマティック拡張)」の三層で音楽を整理し、コード進行に縛られず、モードの響きそのものを音楽の核とする方向を示した。

ラッセルのこの革新は、多くのジャズミュージシャンに直接的・間接的影響を与えた。もっとも有名なのはマイルス・デイヴィスである。マイルスは『Milestones』(1958年)から『Kind of Blue』(1959年)にかけて、コード進行に縛られないモーダル・ジャズを展開し、**「So What」「Flamenco Sketches」ではドリアン、リディアン、ミクソリディアンといったモードを用いた長尺の即興を実現した。ビル・エヴァンスもラッセルの理論に感銘を受け、「Peace Piece」**ではリディアン的コードの静謐な展開が聴ける。

また、ジョン・コルトレーンも『Impressions』『My Favorite Things』でモーダルなアプローチを深化させ、ハービー・ハンコックウェイン・ショーターチック・コリアマッコイ・タイナーらも、この「和声の空間拡張」的思想を独自に発展させていく。パット・メセニーギル・エヴァンスもラッセル理論の影響下にあるとされる。映画音楽ではジョン・ウィリアムズの『E.T.』やレナード・バーンスタインの『ウエスト・サイド物語』の「Maria」にも、リディアン的サウンドが強く表れている。

ラッセル以前の理論的背景には、西洋古典音楽の長い和声の進化が横たわる。ピタゴラスの音律、教会旋法、バロック和声、19世紀ロマン派の和声拡張、さらにはドビュッシーストラヴィンスキーによるモーダル回帰も下地となった。デューク・エリントンは早くから拡張和声を実践し、ラッセルもエリントンを高く評価していた。ビバップの複雑なコード理論(チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、セロニアス・モンクら)も、ラッセルに「調性の整理」の必要性を感じさせた土壌である。

セロニアス・モンクにおいても、リディアン理論の直接的影響はないが、**「Well, You Needn’t」「Epistrophy」**の浮遊感ある音使いは、結果的にラッセルの思想と共鳴する瞬間が多い。モンクは理論よりも身体的直感に基づいて調性の拡張を行い、そのユニークな不協和音美学は「理論外の理論家」として高く評価されている。

ジョージ・ラッセルの理論は、今日でもバークリー音楽大学などで正式に教授され、モード・ジャズ、映画音楽、現代作曲理論において生き続けている。彼は理論家であると同時に実践的な作曲家でもあり、代表作に**「Concerto for Billy the Kid」「All About Rosie」**などがある。リディアン・クロマティック・コンセプトは、今なお「20世紀最大の調性理論革命」と評される所以である。