2025年8月23日土曜日

光あれ

 「光あれ(Fiat lux)」は、『創世記』冒頭の有名な一節ですね。天地創造の最初に、神が混沌の闇に対して放った言葉とされます。象徴的には、

  • 秩序の始まり:混沌から秩序を切り開く行為。

  • 存在の根拠:まず「光」を与えることで、見える世界と時間の流れが始まる。

  • 比喩的な意味:知恵や真理、啓示の到来を示す言葉としても使われてきました。

哲学や文学では「光あれ」は、認識の芽生えや人間の精神的覚醒のメタファーとして引用されることも多いです。



「光あれ」は英語にすると “Let there be light.” です。

これは旧約聖書『創世記』1章3節に記されたラテン語「Fiat lux」を英訳した伝統的な表現で、

  • Let = 「〜させよ」「〜あれ」

  • there be light = 「光が存在する」

つまり直訳的には「光が存在するように」となり、文脈上は「神が光を創造した」という意味を持ちます。

もし少し文学的に言い換えるなら、

  • “Light, come forth.”(光よ、現れよ)

  • “Let light shine.”(光が輝き出よ)

といったニュアンス表現も可能です。

宗教的な文脈では、常に “Let there be light.” が定訳として用いられています。


あります。「光あれ(Let there be light)」 と似た「創造・覚醒・啓示」を象徴する表現は、文学や詩に繰り返し登場します。いくつか例を挙げますね。


1. ミルトン『失楽園 (Paradise Lost, 1667)』

冒頭でミルトンは「光」に向かって祈りかけます。

“Hail, holy Light, offspring of Heaven firstborn!”
(聖なる光よ、天の初子よ、汝を讃えん)
→ ここでは「光」が神の意志と世界の秩序の象徴となっています。


2. ゲーテ『ファウスト (Faust, 1808)』

主人公ファウスト博士が聖書をドイツ語に訳す場面で、
「In the beginning was the Word(はじめに言葉があった)」を
「In the beginning was the Deed(はじめに行為があった)」と書き換えようと葛藤します。
→ 「言葉」や「行為」が「光あれ」と同じく、存在を始めさせる力を持つとされます。


3. シェリー『解放されたプロメテウス (Prometheus Unbound, 1820)』

「光」は自由・真理・創造の象徴として繰り返し歌われます。
→ プロメテウスが人類に火=知識を与える神話的行為と重ねられ、
「闇を払う啓示の光」が文学的に展開されています。


4. 聖書的表現を引いた近代詩

  • T.S.エリオット『荒地 (The Waste Land, 1922)』:光と闇の対比が文明の再生の象徴に。

  • ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ (Ulysses, 1922)』:日常描写に「let there be light」を皮肉的に転用。


共通点

どの作品でも「光」は

  • 創造(新しい世界の始まり)

  • 真理(隠されていたものを明らかにする)

  • 自由・救済(闇や束縛からの解放)

を象徴しています。つまり「光あれ」は単なる宗教的フレーズを超えて、人類の文学的・哲学的な根源モチーフになっているわけです。