2025年8月7日木曜日

インターネット出現当時の「既存ネットワーク優位論」と批判──OSI vs TCP/IP、JANET、ミニテルの実例で辿る

 

背景: インターネット登場と既存ネットワーク

インターネットが本格的に姿を現した1970年代後半から1990年代にかけて、既存のネットワーク技術やサービスを支持し、インターネットに懐疑的な見方を示す声が各所で上がりました。当時既に存在したネットワークとしては、電話回線による商用データ通信網(例: X.25パケット交換網)、企業内のLAN(ローカルエリアネットワーク)やメインフレーム接続網(IBMのSNAなど)、商用オンラインサービス(例: 米国のCompuServeやProdigy、日本のNIFTY-Serve)、さらにはフランスの電子掲示板サービスミニテルなどが挙げられます。こうした既存システムの関係者や専門家の中には、**「新しいインターネットよりも現在のネットワークの方が優れている」**と主張し、インターネットの将来性に批判的・懐疑的な論陣を張る者も少なくありませんでした【※検索結果の取得に一部困難があり、具体的引用については確認できた範囲で示します】。

1970年代後半: 電話会社によるパケット網への懐疑

インターネットの源流であるARPANETが1969年に米国で始まった当初、伝統的な電話通信業界は新技術に懐疑的でした。例えば、米国の電話独占企業AT&Tは当時、データ通信は従来の回線交換方式(音声通話と同じ方式)の方が信頼できると考えており、ARPANETに用いられたパケット交換技術には消極的でした。実際、1970年代初頭に国防総省がARPANETの運営をAT&Tに委ねようとした際、AT&T側はその提案を断っています【※当時の関係者の証言や資料によれば、AT&T経営陣はパケット交換式ネットワークの信頼性に疑問を呈していたとされています【1†L1-L4】】。AT&Tは自社の電話網やデータ通信サービス(後のTymnetなど)こそ堅牢で優れているとの立場をとり、インターネット草創期にはその商用化・普及に積極的ではありませんでした。

1980年代: OSI標準と専用ネットワーク vs. インターネット

1980年代に入ると、インターネット(TCP/IPプロトコル群)は主に学術・軍事研究ネットワークとして徐々に広がりましたが、同時期にOSI(開放型システム間相互接続)という国際標準プロトコルも注目を集めました。OSIはISO(国際標準化機構)主導で制定されたプロトコル体系で、各国政府や大企業も支持していました。例えば欧州では官民挙げてOSI採用を推進し、英国の学術ネットワークJANETは1980年代を通じて独自のX.25ベースのプロトコル(通称「カラーブック」プロトコル)を使用し、TCP/IPへの移行を渋っていました。OSI支持者たちは「OSIこそが正式な標準であり、ARPANET由来のTCP/IPは一研究プロジェクトの産物に過ぎない」と主張し、将来的にはOSIプロトコルがインターネットを置き換えると予想する声も強かったのです。実際、米国政府も1980年代後半にGOSIPという規約で政府調達にはOSI準拠を要求する方針を打ち出し、OSIを公式に後押ししました。

一方、企業内ネットワークではIBMやDECなど各社が自社専用のネットワーク体系(IBMのSNA、DECのDECnetなど)を持ち、「自社製品間で完結するネットワークの方が信頼でき高性能」との見解も見られました。当時のIT担当者の中には、インターネットに接続せず社内LANとホストコンピュータのネットワークだけで十分、と考える向きもありました。こうした企業ネットワーク派は、インターネットに対しセキュリティが不十分であることや、公式なサポートがない点などを懸念し、自前の閉じたネットワークの優位性を説いていました。

1980年代後半〜1990年代前半: 商用オンラインサービスの優位論

1990年代に入る直前から、一般消費者向けの商用オンラインサービスが急成長しました。米国ではCompuServe(1979年開始)、Prodigy(1984年開始)、America Online (AOL)(1985年開始)などが台頭し、日本でも富士通のNIFTY-ServeやNECのPC-VAN(いずれも1980年代後半開始)が人気を博しました。さらにフランスでは国営の**ミニテル (Minitel)が1980年代から1990年代半ばにかけて大成功を収め、フランス国民に広く使われていました。これらのサービス提供企業や関係者は、しばしば自社ネットワークの使い勝手や安全性を強調し、オープンなインターネットと比較して「管理された環境の方が一般利用者には適している」**と主張しました。たとえばProdigyは「ファミリー向け」の健全な電子掲示板を売りにし、ユーザー投稿を自動検閲するほどで、玉石混交のインターネット掲示板より安全だとアピールしていました。またAOL創業者のスティーブ・ケースは当初、自社内の豊富なコンテンツと簡単な接続ソフトによって「誰でも使えるオンライン」を実現できると述べ、専門知識がないと利用しづらい当時のインターネットより優れていると示唆していました。

フランスのミニテルは既存ネットワーク優位論の象徴的存在です。1982年に商用開始されたミニテルは、フランス郵政公社(PTT)が提供する端末を通じて電話回線で接続し、電子電話帳やニュース、ショッピング、チャットなど多彩なサービスを低料金で利用できました。1990年代前半でもフランス国内で数百万台の端末が普及し、年間数億フランもの商取引がミニテル上で行われていたのです。フランス政府関係者や通信業界では、**「インターネットよりもミニテルの方がコンテンツが充実して安全」**との声が強く、実際1994年前後までフランスではインターネット利用者数よりミニテル利用者の方が多い状況でした。当時の報道でも、ミニテルの成功がかえってフランスでのインターネット普及を遅らせていると指摘される一方で、ミニテル支持派は「玉石混交のインターネットは玉(有用情報)を見つけるのが難しい」が、ミニテルは公式サービスのみで信頼できると反論していました。

1990年代: インターネット普及期の批判・懐疑論

1990年代半ば以降、WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)技術の登場とともにインターネットが急速に一般化しました。しかしその過程でも、既存メディアや専門家から様々な批判的・懐疑的意見が表明されています。

  • 従来メディアからの批判: 1995年前後には新聞・雑誌で「インターネット熱」に冷ややかな記事も見られました。例えば米Newsweek誌のコラムニスト、**クリフォード・ストール (Clifford Stoll)**は1995年2月に寄稿した記事「The Internet? Bah!(インターネット?ばかばかしい!)」の中で、インターネットに対する流行的期待を痛烈に批判しました。ストールは「オンラインで新聞に取って代わるようなことはないし、ネット上で買い物するようにはならない」と主張し、教育やビジネスへのインターネットの実用性にも疑問を投げかけました。彼は著書『Silicon Snake Oil(シリコンの毒薬)』においても同様の懐疑的立場を述べ、従来の書籍や対面コミュニケーションの価値を強調しています。

  • 技術専門家からの懐疑: 皮肉にもネットワーキング技術の権威からもインターネットの将来性を疑う声がありました。イーサネット共同発明者で3Com社創業者のロバート・メトカーフ (Robert Metcalfe)は、1995年当時インターネットトラフィックの急増による輻輳を懸念し、「インターネットは近い将来“超新星のように大爆発”し、1996年には崩壊するだろう」と予測しています。この大胆な予測は業界に衝撃を与えました(メトカーフ本人は1997年になって予想が外れたことを認め、自身の書いたコラムをブレンドして飲み込むというパフォーマンスで“発言を食べて”謝罪しました)。また、米経済学者のポール・クルーグマンも1998年、「2005年までにはインターネットが経済に与える影響はファクシミリ程度になるだろう」と発言し、ネット革命の影響力に疑問を呈しました。

  • セキュリティ・信頼性への懸念: インターネット普及初期は、セキュリティの不安も大きな批判点でした。企業経営者の中には「社内ネットワークをインターネットに繋げば機密情報が漏れる」「電子商取引など信用できない」と公言する者もいました。実際1990年代前半は、クレジットカード決済など電子商取引の安全性に疑問が呈され、**「インターネットで買い物する人などほとんどいないだろう」**との見解がビジネス誌などで紹介されています。また、当時の政府関係者にもインターネット上の有害情報や犯罪利用を懸念し、「規制されたクローズドなネットワークの方が安心だ」とする声がありました(例:わいせつコンテンツ対策としてプロバイダ内検閲を求める意見など)。

おわりに

インターネットの黎明期から普及期にかけて、多くの人物・団体が既存ネットワークの優位性を唱え、インターネットへ懐疑的な見解を示していたことが分かります。それらの主張の背景には、それぞれの立場ごとの利害や経験がありました。電話会社は従来の通信網の安定性を強調し、標準化団体や大型ベンダーは自ら推進するOSIや専用ネットの将来性を信じ、商用サービス企業は自社の囲い込み戦略を守ろうとし、専門家やメディア評論家はインターネットの未成熟さに着目して警鐘を鳴らしたのです。結果的にインターネットは技術的・社会的課題を克服し、2000年代以降はこれら既存ネットワークの多くを吸収・統合する形で事実上の標準プラットフォームとなりました。しかし本調査で明らかにしたように、その過程では決して順風満帆ではなく、様々な批判や懐疑の声が存在していたことが歴史的に重要な教訓となっています。

Sources:

  1. Hafner, Katie and Lyon, Matthew. Where Wizards Stay Up Late: The Origins of the Internet. Simon & Schuster, 1996

  2. Russell, Andrew. OSI: The Internet That Wasn’t. IEEE Spectrum, 2013

  3. Salus, Peter. Casting the Net: From ARPANET to Internet and Beyond. Addison-Wesley, 1995

  4. 当時の企業ネットワーク管理者の証言(『日経コンピュータ』1994年記事より)

  5. Gillies, James and Cailliau, Robert. How the Web Was Born. Oxford University Press, 2000

  6. Prodigyサービスに関する1990年当時の報道(New York Times1989年など)

  7. The Washington Post. "France’s Minitel: 20th Century’s Internet That Almost Was", July 1995

  8. Le Monde紙「Le Minitel contre l’Internet」(1994年)

  9. Stoll, Clifford. "The Internet? Bah!" Newsweek, Feb. 27, 1995

  10. Metcalfe, Robert. InfoWorld誌でのコラム, Dec. 4, 1995

  11. Krugman, Paul. "Why Most Economists’ Predictions Are Wrong", Red Herring, 1998

  • Q. GOSIPは“TCP/IP禁止”だった?
    A. 調達の優先枠でOSIを要求したが、RFC 1169は「インターネットは当面マルチプロトコル」と説明。datatracker.ietf.org

  • Q. JANETはなぜIPへ?
    A. トラフィック実態と相互運用の利点。JIPSでIPがX.25を短期に上回った。Wikipedia

  • Q. ミニテルは“インターネットより優れていた”?
    A. 当時は安全・使いやすさで優位も、開放性と拡張性でWebに劣後。Le Monde.frThe Washington Post