漱石と吉本はいずれも「心的現象」を扱いながら、その内部でFとfの直交構造を描いた。Fは社会的・制度的な指示の次元、fは情動や衝動といった自己の一次的運動である。漱石の文学論では、感情の流れ(fₛ)が文体や語彙規範(Fₛ)と交差することで美的均衡が生まれる。リズムや比喩はこの交差角を微細に調整し、読者の知覚に「媒質化された心」を生じさせる。吉本隆明の表出理論でも、自己表出(fᵧ)と指示表出(Fᵧ)は互いに独立な基底として設定され、美とはその二つの力が過剰にも欠損にもならず共鳴する帯域に現れる。両者に共通するのは、F⊥fという直交構造を動的に保ちつつ、表出=E(F,f)を時間的に最適化する点である。美はFとfの和でも差でもなく、両軸の張力がつくる照度、すなわち「意味が成立しかける瞬間」の輝きとして立ち上がる。