2025年10月11日土曜日

高塚又三郎と高塚省吾――同一人物かの検証

 

背景・問題の所在

ご質問は、BASEショップに掲載されている作品「蒼光」の作者名として記載された 「高塚又三郎」 という画家が、岡山県出身の洋画家 「高塚省吾」(1930–2007)と同一人物である可能性についての検証です。高塚省吾は昭和後期に裸婦を中心とした美人画で著名になった洋画家ですが、そのキャリア初期には挿絵や表紙絵など商業美術の仕事も手掛けていますja.wikipedia.orgfukkan.com。一方、「高塚又三郎」という名前は美術の文献では見慣れないものですが、1970年代の一部出版物に登場しますhawkwind.jpja.wikipedia.org。以下では、作品の画像やサイン、画風、制作年代、経歴、署名スタイルなどから両者の一致点・相違点を整理し、この二つの名義が同一人物かどうか検討します。

商品掲載情報のポイント

【商品掲載画像より】まず、問題の作品「蒼光」は 混合技法の油彩画(サイズ縦約24cm×横16.5cm)で、幻想的かつ迫力のある構図が特徴ですdv2i.thebase.in。作品画像を見ると、甲冑をまとった人物や古城のような背景が描かれ、額に宝石を埋め込まれた男性像も見られます。これは マイケル・ムアコックのファンタジー小説『ルーンの杖秘録』シリーズ(主人公ドリアン・ホークムーンの物語)の挿絵・表紙絵を連想させるモチーフです。実際、日本語旧版『ルーンの杖秘録』全4巻(1975~1980年刊)では、高塚又三郎がカバーおよび口絵・挿絵を担当しておりhawkwind.jp、主人公ホークムーンは額に黒い宝石を埋め込まれる設定ですja.wikipedia.org。つまりこの「蒼光」は、その旧版シリーズの挿絵原画あるいは類似コンセプトの作品と考えられ、作品年代も1970年代後半頃と推定されます。

【サインと証票より】掲載写真には、作品とともに作品名・作家名などを書いた紙片(証明書または裏書)が写っています【28†】。そこには**「作家名:高塚又三郎」「作品名:『蒼光』」などと記され、欄外に直筆サインと印が見られます。サイン部分は判読しづらいものの、筆致から漢字で氏名が書かれているようです。高塚省吾の作品には通常、漢字で「高塚省吾」と署名・落款される場合が多く、その書体に通じるものが感じられます(例えば、省の字の草書体など)。一方、「又三郎」という名義そのものは画面上のサインとしては確認されず、あくまで作品のクレジット名**として用いられているようです。このことからも、「高塚又三郎」は筆名・別名義であり、実際の署名は本名(高塚省吾)で行われている可能性が高いと推察できます。

高塚省吾の経歴と画業との照合

活動時期・経歴の一致点: 高塚省吾は1930年生まれで東京藝術大学油画科を卒業後、1950年代には映画美術やバレエ舞台美術、NHK広報室デザイナーなどを務め、多方面の美術活動を行いましたja.wikipedia.orgshikisaisha.com。1970年代初頭には春陽堂版『江戸川乱歩全集』の装幀(表紙絵)を手掛け、鮮烈な原色使いのシュールな油彩表紙で読者を魅了していますja.wikipedia.orgfukkan.com。この乱歩文庫版の表紙絵は洋画家・高塚省吾によるものと明記されており、「現在裸婦画の第一人者として活躍している高塚氏のファンにも是非見てほしい」と評される出来映えでしたfukkan.com

その後1975年から1980年にかけて東京創元社から刊行されたムアコックの**『ルーンの杖秘録』全4巻でも挿絵・カバーアートを担当していますが、この時クレジットされた名義が「高塚又三郎」でしたhawkwind.jp。旧版ホークムーン・シリーズのイラストレーター「高塚又三郎」は他に類を見ない名前であり、作品傾向から見ても高塚省吾本人と考えるのが自然です。加えて、この1970年代後半という時期は、省吾が禅修行を経て自らの作風を見直し始めた頃とも重なりますja.wikipedia.org。1978年にはジャパン・エンバ美術賞展に入選し、1979年に曹洞宗で受戒、そして1980年に素描集『おんな』を刊行して美人画家としての名声を確立**するに至りますja.wikipedia.org。つまり 1970年代は省吾が商業挿絵から純粋美術への飛躍を遂げた過渡期であり、その間に乱歩やムアコック作品の挿絵を手掛けていたことは、彼の活動履歴と矛盾しませんja.wikipedia.orgfukkan.com

画風・ジャンルの比較: 高塚省吾は1980年代以降、淡く透明感のある色調で女性美を描くエレガントな裸婦像を多数発表し、ポストカードやカレンダーでも人気を博しましたnatsume-books.comfukkan.com。一方、「蒼光」に代表される高塚又三郎名義の作品は、中世ヨーロッパ風の甲冑武者や幻想的風景などヒロイック・ファンタジーの題材を、濃密な原色と写実的筆致で描いたものです。一見するとジャンルも雰囲気も異なりますが、これは同一画家の別側面と考えれば説明がつきます。実際、省吾は若い頃から劇場美術やデザインの仕事に携わり、多彩な画題を経験していますshikisaisha.com。1970年代前半の乱歩シリーズ表紙では猟奇的な人物像や怪奇場面を濃厚な油彩で表現しており、そのおどろおどろしい原色使いと超現実的イメージは、「蒼光」などホークムーン挿絵と通底するものですfukkan.com。さらに、ファンタジー挿絵とはいえ写実性の高さや緻密な描写は油絵の素養が感じられ、省吾が梅原龍三郎や林武といった巨匠に師事して正統派の油彩技法を身につけたこととも符合しますyuagariart.comja.wikipedia.org。要するに、高塚又三郎名義の作品群は、高塚省吾が挿絵画家として発揮した “もう一つの画風” と位置づけられるのです。

名義・所属歴: 高塚省吾は公展(院展・日展など)系統には属さず、特定の美術団体に所属しない立場で活動しましたyuagariart.com。そのため美術年鑑などには「無所属」と記載されていますyuagariart.com。一方、もし高塚又三郎という別個の画家が存在するなら、その人物の所属や受賞歴などがどこかに記録されているはずです。しかし、主要な物故洋画家名簿を調べても 「高塚又三郎」という名の洋画家の項目は見当たりません(「又三郎」という名では岡田又三郎〔1914–1984〕という別人がいるのみ)yuagariart.com。また仮に同時期に同姓の画家がいれば混同を避ける注記が文献にあるはずですが、そのような例も確認できません。むしろ、創元推理文庫の旧版ホークムーンシリーズ4冊以外に「高塚又三郎」がクレジットされた書籍や作品はほとんどなく、これはご本人の挿絵ペンネームであったと考えるのが合理的です。おそらく高塚省吾は、美術画壇での名声が高まる以前の挿絵仕事において、あえて別名義を用いることで純粋美術の世界と切り分けていた可能性があります(当時、一流の洋画家が大衆文庫の挿絵を手掛ける際、評価やブランドを気にして筆名を使う例は珍しくありません)。

結論・総合判断

以上の検証から、「高塚又三郎」=「高塚省吾」本人である可能性は極めて高いと結論づけられます。実質的に高塚又三郎は高塚省吾の挿絵用名義であり、同一人物とみなして差し支えないでしょう。作品の画風・テーマこそ省吾の代表作とは異なるものの、活動時期や技法、クレジットの文献状況、署名の書体など、あらゆる点で符合しています。信頼性の高い資料として、創元推理文庫版『ルーンの杖秘録』旧版4巻の刊行データには**「表紙/挿絵:高塚又三郎」**と明記されておりhawkwind.jp、高塚省吾自身の経歴にも1970年代の挿絵活動として矛盾なく位置付けられますja.wikipedia.org。美術市場や画家名鑑で「高塚又三郎」が独立した画家として扱われていない点も踏まえれば、両名義は同一人物の別称と考えるのが妥当ですyuagariart.comyuagariart.com。したがって、「蒼光」を描いた高塚又三郎とは、他ならぬ洋画家・高塚省吾その人である可能性が極めて高いと言えるでしょう。

参考・出典: 高塚省吾の略歴(ウィキペディア)ja.wikipedia.org、画集解説fukkan.com、創元文庫の刊行情報hawkwind.jp、湯上がり美術談義データベースyuagariart.comyuagariart.com等。