2025年10月26日日曜日

「須磨の浦」は同じ神戸付近の海辺ですが、『源氏物語』と『平家物語』でまったく異なる意味を持ちます。

 「須磨の浦」は同じ神戸付近の海辺ですが、『源氏物語』と『平家物語』でまったく異なる意味を持ちます。『源氏物語』では平安中期(10世紀ごろ)の設定で、光源氏が政争に敗れて都を離れ、一時的に身を寄せる「流謫の場」として描かれます。荒い波音や嵐の夜などの描写を通じ、栄華からの転落、不安、望郷、そして後の復帰への転機が表現されます。これが須磨の浦の「孤独と再起」のイメージを決定づけました。これより時代が下る『平家物語』では、寿永3年(1184年)の一ノ谷の戦いの舞台として須磨の浦が登場します。ここでは平家一門が源義経らに破られ、西へ退き、若武者が討たれ、栄華が崩れる場面が語られ、盛者必衰と無常の象徴になります。物語内時間でも、成立年代でも、『源氏物語』の須磨が先、『平家物語』の須磨が後に位置します。