2026年2月14日土曜日

🧔21世紀は批評の時代――AIとポストモダンが交差する〈真実〉と〈意味〉

 21世紀が「批評の時代」と言える理由はいくつか考えられます。

  1. インターネットとSNSの普及
    かつては限られた評論家やメディアだけが発信できた批評が、今や誰でも発信できる時代になりました。TwitterやYouTube、ブログなどを通じて、多様な視点からの批評が生まれています。

  2. アルゴリズムによる情報の偏りと批評の役割
    検索エンジンやSNSのアルゴリズムによって、特定の情報が強調されたり、バイアスがかかったりすることが問題視されています。そうした環境下で、批評が「何が正しいのか」「どのように情報を解釈すべきか」を問う重要な役割を担っています。

  3. コンテンツの氾濫とキュレーションの必要性
    映画、ゲーム、小説、アート、科学論文など、膨大なコンテンツが次々と生み出されるなかで、何が価値あるものかを見極める力が求められています。批評はそのガイドラインのような役割を果たします。

  4. ポストモダンの影響とメタ批評
    20世紀後半から続くポストモダン思想の影響で、「何が本物か」「何が価値あるのか」を問い直す動きが続いています。メタ批評(批評そのものを批評すること)も活発で、批評が自己言及的になりつつあります。

  5. AIの進化と批評の新しい形
    生成AIの進化により、文章やアートの創作が自動化されつつあります。これに対して「AIの作品は人間の創作とどう違うのか?」という批評的視点がより重要になってくるでしょう。

批評がただの評価やレビューではなく、「社会や文化のあり方を考える行為」として捉えられるなら、21世紀はまさに批評の時代と言えるかもしれませんね。あなたが思う「批評の時代」の具体的なポイントはどのあたりですか?

仰ってる趣旨からいくと20世紀後半のポストモダンと、その前段の情報理論あたりからですかね

そうですね、20世紀後半のポストモダンと、その前段にある情報理論の発展が、21世紀の「批評の時代」につながっていると考えられます。ポストモダンが「大きな物語の崩壊」を指摘し、情報理論が「メディアの中立性」を解体したことで、私たちは「何を信じるか」「どのように解釈するか」を常に批評的に考えざるを得ない状況になっています。

1. 情報理論とメディアの変容

クロード・シャノンの情報理論(1948年)が「情報の量と意味は別である」ことを明確にしたことで、メディアの役割が変わりました。情報が増えることが必ずしも意味の増大につながらないため、何をどう解釈するかが重要になりました。マーシャル・マクルーハンの「メディア論」では「メディア自体がメッセージである」とされ、コンテンツそのものよりも「それがどのメディアで伝えられるか」に注目が集まるようになります。

この流れが進むと、メディアによる情報の伝え方そのものが批評の対象になり、「どのような構造の中で情報が流通しているのか?」が問われるようになります。これは現在のSNS時代のアルゴリズム批評やフィルターバブルの議論にも直結します。

2. ポストモダンと「大きな物語」の崩壊

ジャン=フランソワ・リオタールの『ポストモダンの条件』(1979年)では、「大きな物語」の終焉が語られました。つまり、伝統的な宗教、国家、科学、歴史といった「普遍的な真理」が疑われるようになり、すべてが相対化される時代に入ったのです。フーコーの権力論、デリダの脱構築も同様に、「真理とは構築されたものである」という視点を提示しました。

この結果、「何が本当か?」を一方的に決めることができなくなり、批評が単なる評価ではなく「枠組みを疑う行為」として機能し始めます。たとえば文学や映画だけでなく、社会制度や歴史そのものが批評の対象になり、「どのように語られるか」「誰が語るのか」という視点が重要になりました。

3. 21世紀の批評の時代

こうした情報理論とポストモダンの影響を受けて、21世紀では批評の役割がより大きくなったと考えられます。

  • 情報過多の時代
    → 情報の「意味」を精査する批評が不可欠になる。

  • AIによるコンテンツ生成
    → 批評が「人間の創作とは何か?」を問う場になる。

  • ポストトゥルース時代(フェイクニュースの横行)
    → 何が「事実」なのかを問い続ける批評が求められる。

結局のところ、21世紀における批評の役割は「情報を整理し、意味を見出し、社会の枠組みを問い直す」ことにあるのかもしれませんね。あなたが考える「批評の時代」のポイントもぜひ聞きたいです。