ENIAC(1945年完成)をはじめとする1940年代~50年代初期のコンピュータは、パンチカードやスイッチ入力、ランプや印字による出力が中心で、現在のWindowsのようなウィンドウシステムやマウス操作は存在しませんでした。ただし、この時代にも 画面表示装置 や ポインティングデバイス を用いたインタラクティブなユーザーインターフェースを先駆けて模索した研究や構想がいくつか見られます。以下に、当時の主な論文・研究・報告書(英語および日本語文献)を年代順に紹介します。
1945年:ヴァネヴァー・ブッシュの「Memex」構想(論文 As We May Think)
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文献名・著者・発表年:As We May Think(「かく考え得れば」) – Vannevar Bush(ヴァネヴァー・ブッシュ), 1945年7月発表(米誌 The Atlantic)
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概要:ブッシュは第二次大戦中に米国科学研究開発局長を務めた技術者で、戦後すぐに発表した論文 As We May Think の中で、人間の知的活動を支援する未来のデバイス「Memex(メメックス)」を提案しましたlemelson.mit.edu。Memexは大型の机の形をした仮想的装置で、内部に膨大な書籍・文書をマイクロフィルムで蓄積し、**机上の複数のスクリーン(ビューア)**に資料を高速表示できるものですlemelson.mit.edu。ユーザーはキーボードや各種ボタン・レバーで資料を検索し、2つの画面に関連する情報を並べて表示してリンク付けする(「連想的な径路」=ハイパーテキストの概念)ことができますlemelson.mit.edu。これは現代の個人用コンピュータ+ハイパーリンクの原型とも言える構想であり、画面表示とユーザー操作による情報操作という点でGUI的発想の先駆けでした(実際の実装はされませんでしたが、その後のハイパーテキストやパーソナルコンピュータ研究に大きな影響を与えましたlemelson.mit.edu)。
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関連リンク:原文は The Atlantic 誌 (1945) 所収。日本語訳「われ思考すること如何に(Memex)」などが後年紹介されています。
1946年:ラルフ・ベンジャミンによる世界初のトラックボール(ポインティングデバイス)
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文献名・著者・発表年:特許「指示装置」(英特許出願1947年) – Ralph Benjamin(ラルフ・ベンジャミン), 1946年発明
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概要:ベンジャミンはイギリス海軍のレーダー試験プロジェクトで、レーダー画面上のカーソルを滑らかに操作する入力装置として**「ローラーボール」(Roller Ball)** と呼ばれる世界初のトラックボールを考案しましたhistoryofinformation.com。これは直径数センチの金属球を手で回転させ、その回転を検知して画面上の位置を動かす装置で、後のマウスのボール部分に相当します。1946年に発明され1947年に特許出願されましたhistoryofinformation.com(当時は軍事機密のため公にはならず、製品化はされませんでしたが、後年になってその先取性が明らかになりましたen.wikipedia.org)。さらに1952年にはカナダ海軍の DATAR システムでケニオン・テイラーらが五番ボウリング球を使った大型トラックボールを開発し、1953年に実地試験を成功させていますhistoryofinformation.com。このようにマウスやポインタに類する入力インタフェースの発想は1940年代後半にすでに現れていました。
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関連リンク:特許自体は未公開でしたが、後年の技術史資料historyofinformation.comhistoryofinformation.comに発明の概要が記されています。
1948年:マンチェスター“SSEM(ベイビー)”によるCRTディスプレイ出力
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文献名・著者・発表年:研究報告(マンチェスター大学 SSEMプロジェクト), 1948年6月
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概要:イギリス・マンチェスター大学で開発されたSSEM(Small-Scale Experimental Machine、通称「ベイビー」)は、1948年6月に世界初の電子式プログラム内蔵コンピュータとして稼働しました。その際、計算結果の二進コードパターンを陰極線管(CRT)上に表示していますatochotto.com。これはコンピュータが電子画面に情報を表示した最初期の例ですatochotto.com。表示内容は0/1を示すドットの配列(小さな点の集合)に過ぎず、ユーザーが直接それを操作することはできませんでしたが、コンピュータの出力装置としてCRTスクリーンを用いるという発想がこの時期に登場したことは、後のグラフィカル表示への布石となりました。なお、当時は計算結果の出力にはテレタイプやプリンタも併用されており、CRT表示は主にメモリ内容の可視化(Williams管メモリの付随機能)でした。
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関連リンク:マンチェスター“SSEM(ベイビー)”計画の報告書および解説(ウィキペディアなど)に、CRTに二進データを表示した様子が記録されていますatochotto.com。
1948~1951年:MIT「Whirlwind I」計画におけるインタラクティブCRTとライトペン
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文献名・著者・発表年:研究プロジェクト「Whirlwind I」報告 – Jay Forrester(ジェイ・フォレスター)ほか, 1945~1951年頃
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概要:アメリカMITのフォレスター率いるWhirlwind I計画では、当初は飛行機のシミュレータ用アナログ計算機の研究として始まりましたが、戦後に世界初の高速デジタル計算機に発展しました。Whirlwind(1951年稼働)はリアルタイム処理を特色とし、出力に当時最新のCRTディスプレイを採用した点で画期的でしたethw.org。さらにMITの技術者ロバート・R・エヴァレットらの工夫により、画面上に表示した発光点をユーザーが直接指し示せる入力装置「ライトペン(ライトガン)」が開発されましたhistoryofinformation.comethw.org。これはペン型の光センサを画面上の光点に当てるとその位置をコンピュータが検出できるもので、コンピュータ出力に対し人間が指示・選択入力を行える世界初のポインティングデバイスとなりましたethw.org。1948年末〜49年初頭には試作のライトガンでCRT上の光点を指し示す実験が行われ、人とコンピュータが画面上の「オブジェクト」を介して対話するというインタラクティブUIの萌芽が見られましたatochotto.com。また表示解像度も向上し、1949年には256×256ドットの画面上でプログラムにより動く最初のコンピュータ・ゲーム(光点を動かす簡単なデモ)が実現していますatochotto.com。これらの成果は、「人間がコンピュータの前に立ってスイッチ操作するだけだった時代から、画面を見ながら座って操作できる対話型コンピューティングへ」という発想転換を促しましたatochotto.com。実際、MITの研究者ダグラス・T・ロスは1954年、水平に置いたオシロスコープ画面に指先で直接文字を書く実験プログラムまで試みていますatochotto.com(今日のタッチパネルの原型的発想)。これは当時として極めて先進的なユーザインタラクションの実験でした。
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関連リンク:IEEEマイルストーンの解説や歴史資料に、Whirlwindが世界初のリアルタイム対話型コンピュータであり「CRT表示とライトペン入力を備えていた」ことが記録されていますethw.org。またロスの回想や論文は日本語訳『ワークステーション原典』(ACMプレス編, 1990年)などに所収されていますatochotto.comatochotto.com。
1954年:米空軍のSAGEシステムにおけるコンソール画面とライトガン
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文献名・著者・発表年:防空システム開発「SAGE」報告 – MIT Lincoln Lab & IBM他, 1954年着手(1963年完成)
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概要:SAGE(Semi-Automatic Ground Environment)は、冷戦期に米空軍が開発した大規模防空管制ネットワークです。Whirlwind計画の成果を受けて1954年に開発が開始され、IBMが大量生産したAN/FSQ-7真空管コンピュータを中核に、全米各地の司令センターに配置された多数のオペレータ用コンソールから構成されましたatochotto.com。各コンソールには大型の円形CRTスクリーンと入力用のライトガン(ライトペン)が備わり、レーダーから集約された航空機の位置がスクリーンに光点や記号で表示されましたhistoryofinformation.com。オペレータはライトガンで画面上の不明機マーク(UFO=未確認航空機アイコン)を選択し、コンピュータに対して迎撃機指示などの対話的操作を行いましたhistoryofinformation.comatochotto.com。これは実用システムにおけるグラフィカルユーザインタフェースの嚆矢と言えます。画面上の航空機シンボルは現在のGUIでいう「アイコン」に相当し、ライトペンによる選択操作はマウスによるポイント&クリックの先駆けでした。当時の記録によれば、SAGEオペレータが扱った画面上の最初の「オブジェクト」は未確認機(敵機)アイコンでありatochotto.com、これが電子計算機史上初期の実用的グラフィカル表示オブジェクトでしたatochotto.com。SAGE開発を通じて、リアルタイム応答や人間と機械の協調作業の重要性も認識され、人間工学的なUI設計の端緒ともなりました。
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関連リンク:IBM社やMIT Lincoln Laboratoryの公開資料にSAGEの歴史がまとめられており、「このシステムで世界初のライトペン付きグラフィックディスプレイが実用化された」と記されていますhistoryofinformation.com。また日本語では『コンピュータ200年史』(河出書房新社, 1982年)などにSAGEの紹介があります。
1950年代前半:その他の理論的考察や試み
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ダグラス・T・ロスの提言(1950s):MITのロスは、上記Whirlwindの経験からコンピュータをより直接的に操作できる環境を追求しました。彼は1956年2月の所内メモで「ダイレクト・アクセス」による計算機利用を提唱し、従来パンチカード経由だった計算機に電動タイプライター(Flexowriter)を接続してキーボードから直接入力・即時応答する対話型利用の利点を説きましたcomputerhistory.org。実際に同年7月、MIT Whirlwindでキーボード入力の実験が行われ、その有用性が実証されていますcomputerhistory.org。これは現在の対話型コンピューティングの先駆けとなるアイデアでした。またロスは前述のように、ライトペンや手書き入力の実験など人間が座ってコンピュータと協働作業する「パーソナルワークステーション」の原型を1950年代初頭に思い描いておりatochotto.com、後年「1950年代初頭に個人的に見たパーソナルワークステーション」という回想記を執筆しています(邦訳は『ワークステーション原典』所収)。
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スタイレータ(Stylator)試作(1957年):米国では文字手書き入力の研究も始まっており、例えば1957年にトム・ダイモンドらが発表した「スタイレータ」は、手書き文字をリアルタイム認識するためのペン入力システムでしたen.wikipedia.org。これはグラフィカル表示と言語入力を組み合わせたインターフェースの先駆例で、後のタブレットやペンコンピューティング(RAND Tablet, 1964年)に繋がっていきますen.wikipedia.org。当時のペン入力研究も「キーボードやマウス以外の直感的なUI」への模索としてGUI史に位置付けられます。
以上のように、1940年代後半~50年代初頭には現代のWIMP(ウィンドウ・アイコン・マウス・ポインタ)型GUIそのものは存在しなかったものの、マウスの前身となる トラックボール や ライトペン の発明、電子スクリーン表示による対話的操作、複数情報を同時参照する 画面装置構想(Memex)など、後のGUIを先取りする発想や試作が各所で現れていました。これら先駆的研究は1960年代以降の成果に直接・間接に影響を与えています。実際、1963年のIvan SutherlandによるSketchpadシステム(ライトペンで図形を描画・制約操作する画期的GUIspectrum.ieee.org)や、1968年のダグラス・エンゲルバートによる「マウス」発明とウィンドウ表示を用いた世界初のGUIデモ(いわゆる“Mother of All Demos”)は、ここで挙げたような1950年代までの着想を発展させたものと言えるでしょう。
参考文献・情報源(年代順):
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Vannevar Bush, “As We May Think”, The Atlantic Monthly, July 1945lemelson.mit.edu – 個人用情報機械Memexの構想を示したエッセイ(ハイパーテキストの源流)。
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Ralph Benjamin, Roller Ball Trackball Patent, 1947historyofinformation.com – 世界初のトラックボール(軍事機密のため当時非公開)。
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Manchester University, SSEM (Manchester Baby) Reports, 1948atochotto.com – コンピュータのCRT表示メモリの実証に関する報告書。
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Jay Forrester et al., Project Whirlwind Reports, MIT (1945–1951)ethw.org – Whirlwindコンピュータの技術報告(リアルタイム計算・CRT・ライトペン)。
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Robert R. Everett, Light Pen for Whirlwind, MIT Lincoln Lab, ~1950historyofinformation.com – ライトペン装置の発明(SAGE計画に継承)。
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Douglas T. Ross, “Personal View of the Personal Workstation – early 1950s”, (再録: 1989 ACM History of Personal Workstations) – 1950年代初頭の対話型計算機利用に関する回想atochotto.comatochotto.com。
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SAGE Project, Semi-Automatic Ground Environment Reports, 1954–63historyofinformation.com – 米国防空システムSAGEの技術報告(IBM提供資料など)。
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Tom Dimond, Stylator project, 1957 – 手書き入力によるコンピュータ制御の研究en.wikipedia.org。
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コンピュータ史関連書籍:『コンピューター200年史 - 情報マシーン開発物語 -』中山理著 (1982) や『ワークステーション原典』浜田俊夫訳 (1990) などに当時の資料の翻訳・解説が収録されています。