2026年10月16日金曜日

夏目漱石『文学論』 第五編 第七章 補遺(現代語訳)

 夏目漱石『文学論』

第五編 第七章 補遺(現代語訳)


第七章 補遺


前章で述べた意識の推移の順序や種類、ならびにその例のほかにも、論ずべきことはもちろん数多くある。しかし時間が足りず、材料も不足しているため、詳しく論じることができなかった事柄を集めて、この一章とする。


(一)文学界に及ぼす暗示の種類


暗示によって推移する意識の波紋は千差万別である。その内容を具体的に説明するのが難しいことは、天才の意識を、その実質から説明するのが難しいことと同様である。しかし大きく分類し、とくに文学界の意識だけに対象を限るなら、その種類ごとの特性を挙げることはできるように思われる。文学界における暗示が文学の内容を構成することは言うまでもなく、文学の内容は、すでに論じたように四種の材料から成るからである。したがって、あらゆる暗示はこの四要素のいずれかの形を取って流れ込んでくるはずである。


しかし、これらの暗示が社会のどのような状況によって影響されるのかという問題については、ここで一言述べておく必要があると考える。文学は人間の活動の一つの現れにすぎず、その活動は単独で自由な道を進めるわけではない。他の活動に影響を与えると同時に、他の活動からも影響を受けるのである。したがって、ある文学的暗示の原因と結果を論じる際に、文学の潮流だけを見て他の活動を無視するなら、完全な研究は難しい。この観点から言えば、文学は社会現象の一つであり、他の社会現象との関連の中でその作用と反作用を十分に調べて、初めて理解できる。したがって、すべての歴史家は同時に文学史家でなければならず、文学史家もまた一般の歴史家でなければならない。


人間の活動の大きな現れを分類すれば、(い)経済的・科学的状況、(ろ)哲学・宗教などから生じる精神的状況、(は)政治的状況などとなる。こうした大きな活動が文学の盛衰と推移に関係する以上、文学とこれらの活動とを切り離すことができないのは明らかである。


(い)物質的状況と文学


物質的状況と文学との関係を論じるとき、誰もが最初に注目するのはエリザベス朝文学(Elizabethan literature)であろう。エリザベス朝文学が英文学史上、空前絶後ともいえる繁栄期を示したことは広く知られている。そしてその原因を考えるなら、当時の物質的状況に大きく左右されていたことは疑いない。


〔原資料では、以下の宗教的事情から「一朝、目を覚まして」の直前までの文章が、OCRの都合でほぼ同じ内容の二つの版として重複している。以下では内容を欠かさないよう一度だけ訳し、異なる判読が必要な箇所には注記した。〕


もちろん、物質的状況以外に文学の興隆に関わる力がなかったと言うのではない。たとえば宗教問題がある。女王の即位当時まで宗教上の紛争は絶えず、人々の心は大きく揺れ動いていた。宗教は人間の生死に関わる強大な力である。適切な解決が得られない間、人心は定まらず、風船に乗って空中を漂うようなものである。イギリスのような宗教史を持つ国民では、なおさらである。したがって、この問題が解決されたことは、文学が盛んになる機会を大いに早めたに違いない。


当時、商業と貿易が盛んになるのに応じて、民衆の暮らしが非常に豊かになっていったことは、歴史家の挙げる事実から保証されている。農業の改良により、厳冬期にも羊の群れを飼うことができ、従来のように塩漬けの魚を常食する必要がなくなった。煉瓦の再発見(一四五〇年)によって住宅の改良が進み、裕福ではない人々もガラスや絨毯、枕を使うようになった。好みは自然に華やかになり、気概は雄大になり、人々の精神には次第に自信が生まれた。この自信が遠慮なく発揮されていることは、当時の文学を少し見ればすぐに認められる顕著な特徴である。


この頃、イギリス人は海上の覇権をスペイン人と争い、いわゆる無敵艦隊(Invincible Armada)を破って、数多くの軍艦を海底に沈めた。この勝利が物質的条件に多くを負っていたことは言うまでもない。人々は天下は自分たちのものだと思い、目指すところへ周囲を顧みず、思いのままに進もうとする雄大な気概を持った。その気概は華麗な言葉となって現れ、二十世紀の今日にまで痕跡を残している。だから当時の文学は、[原文「円太郎馬車の如く」――文脈上の比喩の意味は未確定]、放縦であろうと、規則や約束を無視していようと、窮屈さや切迫感がなく、消極主義も厭世主義も隠遁主義もなく、堂々と進取的なのである。無敵艦隊を覆した気迫が、そのまま文学の中にも生きているかのようである。


さらに忘れてならないのは、いわゆる物質的な拡張の状況である。それまで人々が生まれ育ち、果てしなく広いものだと考えていた世界は、実は世界全体ではなく、その半分にすぎなかった。その事実を、この時代の人々は初めて自覚したのである。そして未知の半分には、見たことのない人々が暮らし、聞いたことのない獣が走り、草木も鳥も魚も、古くなった旧世界に飽き、発展の余地がないと思っていた人々を驚かせるものばかりがあった。これほどの発見が、偉大な発見でないはずがない。その影響が人々の精神を変化させなかったとは、夢にも考えられない。


それは、狭い庭を高い塀で囲み、何か月もそこで寝起きして何の疑いも持たずにいた人が、ある朝、目をこすりながら扉を開けると、昨夜のうちに四方の壁が崩れ落ち、千里にも及ぶ風景が一斉に目に飛び込んできたようなものである。雄大で開けた新しい景色に心を奪われると同時に、視界の彼方にはさらに自分を誘う無数のものが潜んでいると想像せずにいられない。この新世界は、その背後にあるさらなる新世界を呼び起こし、国民に非常に豊かな想像力を与えた。その豊かな想像力が当時の文学に独特の輝きをもたらし、後世の人々を驚かせている。


もう一つ例を挙げよう。十八世紀にイギリス人が成し遂げた農業の発達は、単に農業だけの発達と見るべきではない。その影響は確かに芸術にも反映されたように思われる。それ以前は中世と変わらず、羊を飼うのに適切な飼料を用いなかったため、冬になると飼育できず、屠殺するのが普通だった。さらに、草を餌とするため、牧草を得る土地を耕作に使えないという、非常に不経済な状態だった。十七世紀頃、オランダでカブを羊の飼料にする方法が発見され、やがてイギリスに導入された。その結果、冬季にも羊を飼えるようになっただけでなく、耕作地も広がり、農業者の財産も大きく増えた。


こうして富が形成されたことは記憶すべき事実であり、その影響が風景式庭園(landscape gardening)の基礎となって現れたことも争いようがない。従来のイギリスの住宅に風雅が乏しかったことは、マコーリー(Macaulay)が歴史書に述べた通りである。しかしこの頃から旧態を改め、庭には高木が植えられ、自然の一部をそのまま切り取ったかのような庭園が造られるようになった。イギリスが風景式庭園で名を得たのはこの時期である。


影響は庭園術だけにとどまらない。財産が豊かになるに応じて、人々は住まいを飾ろうとした。そして祖先や自分自身の肖像画を飾ったことは、美術史を調べる人なら知っている通りである。レノルズ(Reynolds)やゲインズバラ(Gainsborough)が登場したのもちょうどこの頃であり、二人の技術が肖像画の発展に貢献したのは、こうした奨励があったためである。


(ろ)政治と文学


次に政治と文学の関係を述べたい。政治的な力として人々の心を捉えただけでなく、文学への影響において空前絶後だったのは、すでに何度か例に挙げたフランス革命である。その標榜したのは、従来の弊害を打ち破り、人為的な階級を取り除き、あらゆる形式を捨て去って、本来の自由と平等を享受することであった。


世界史上名高いこの政治的運動が、当時の文学界にも消すことのできない痕跡を残したことは、すでに論じた。当時のイギリスの作家で、この影響を受けなかった者はほとんどいない。もちろん革命が進むにつれて弊害が伴い、その過激さに驚いて反抗した人々もいた。しかし、革命がさまざまな方面から作家を動かしたことは事実である。


ゴドウィン(Godwin)の『政治的正義に関する研究』(原文OCR:Enquiyy concerming Pal-tical Justice)や、ウルストンクラフト(Wollstonecraft)の『女性の権利の擁護』(原文OCR:A Vindication the Rights Woman)は、理論の方面から革命の理念を唱えたものだ。純文学の領域でも、当時の著名な作家でその影響を受けなかった者はほとんどいない。バーンズ(Burns)も、サウジー(Southey)も、コールリッジ(Coleridge)もそうである。サウジーの『ジャンヌ・ダルク』(原文OCR:Jean Arc)は、ロマン主義的であると同時に革命思想を備えた、注目すべき作品である。沈着なワーズワース(Wordsworth)でさえ、[原文の国王名は「Louis IVX」とOCRされ、判読に問題がある]の処刑を正当だと考え、フランス革命を擁護する文章を書いた。そのほかムーア(Moore)、ランドー(Landor)、バイロン(原文OCR:Bylop)もいる。彼らの詩に革命思想が含まれていることは、読者も以前から知っているだろう。


ここでは例を挙げるだけなので、詳しく論じることはできない。詳細を知りたい読者は、先に挙げたダウデン(Dowden)の『フランス革命と英文学』(原文OCR:The French Revolution CAP English Literature)を読むとよい。


(は)道徳と文学


次に道徳と文学との関係を述べたい。ただし、ここでも例示を目的とするため、数行にとどめる。A・W・ウォード(A. W. Ward)は、その著書『イギリス演劇文学』(English Dramatic Literature、第3巻262―263頁)で、シェイクスピア以後、王政復古期に至る演劇に現れた道徳的精神の衰退について、次のように述べている。


「この堕落の程度はもちろん一様ではないが、当時の演劇文学の一つの明らかな特色であり、ついには道徳的堕落として現れるようになった。道徳は芸術作品とはまったく関係がないという批評家もいる。しかし、一国民の芸術生活の発達を一般史の発達と並べて考えれば、誰もが反対の結論に達するだろう。比較的詳しい研究が可能なギリシア彫刻史に、ギリシア社会の歴史上のさまざまな経験が反映されているのと同じように、わが国の演劇史も、エリザベス朝から王政復古期に至る国民生活の歩みを通して、道徳的影響の盛衰を映し出している。


「ジェームズ王やチャールズ王の時代の演劇が、公私にわたって道徳的理想に乏しい社会生活を反映している、と単純に言うのは、マシンジャー(Massinger)とフレッチャー(Fletcher)、あるいはシャーリー(Shirley)とフォード(Ford)の間にある道徳的な調子の大きな違いを無視するような、役に立たない議論である。しかし、公私の関係を規制する重要な拘束力に対して、当時の社会のある階層が示した鈍感さは、時代の特色であると同時に、その時代の演劇文学の特色でもあった。


「個人で比較すると、マーロウ(Marlowe)は[比較対象の人名:原文判読不能]よりも、あらゆる点で放縦に見えるかもしれない。しかし前者は道徳的な力を少しも軽視していないのに対し、後者がそれを軽蔑する態度は、抑制のない情欲の描写以上に、しばしばわれわれをぞっとさせる。


「シェイクスピア自身も、われわれの知る限り、自由な市民的道徳の最高の理想を十分には実現していない。彼の描くブルータス(Brutus)は確かにその理念を具体化しているが、それも半ば修辞的で、半ば物悲しい霧に包まれているように見える。それでも、シェイクスピアやその同時代人にとって、フレッチャーと同じ程度に堕落することは、とうてい耐えられなかっただろう。フレッチャーの生きた時代には、自由な空気を呼吸できず、君主(prince)を、慈悲深くも残酷にも臣下の心身を支配する専制者としてしか考えることが難しかったのである。」


このように、文学的な意識は他方面の活動に支配され、新たな暗示を受ける。この点にはなお学者が研究すべき余地があると思うが、私には能力も時間も足りないため、不完全ながらここで筆を置く。


(二)新旧・精粗に関する暗示の種類


文学上のFが、F、F、F……と連続して変化するとき、次に現れるFは、性質の点でどのようなものになるのか。この問題に対しては、理論上、次の六つの場合を考えられる。


(い)古代のFを復活させる場合。

(ろ)古代の複数のFを結びつける場合。

(は)現在のFに、まったく新しい何かを加える場合。

(に)まったく新しいものに変わる場合。

(ほ)現在のFと古代のFを結びつける場合。

(へ)まったく新しいものと、まったく古いものとを結びつける場合。


〔この六分類と次の四分類の数式はOCRで記号・添字・配置が著しく崩れている。以上は周囲の説明から読み取れる内容を文章化したもの。厳密な式は原本照合が必要である。〕


理論上は以上の六種類を認められる。しかし実際には、これらに明瞭に対応する例を文学史から見つけることは容易でないかもしれない。たとえば現在の意識が突然、古代のFやまったく新しいFに変わるのは、反動の種類を論じた際にすでに例外的な場合だと述べたので、ここでは繰り返さない。


こうした例外が強烈な外部刺激から起こるとき、一見、暗示による急激な変化が生じたように見える。しかしその後の推移を見ると、結局はゆっくり変化した場合と同じところへ落ち着くように思われる。図によって説明しよう。二つのFが性質の上で大きく隔たり、自然な傾向では一方から他方へ移りにくいとする。ところが、ある強い刺激mによって急変が起きたと仮定する。その後を追えば、急変後のFはゆっくりと一定の平衡点へ向かって進んでいく。一方、この強い刺激がなく、自然の傾向に従って徐々に移る場合にも、Fは同じ平衡点へ向かって進む。結局、どちらもその点に到達し、平衡を保って初めて止まるのである。[原文中の図とFの添字はOCRでは判読不能]


世間の例で言えば、乾坤一擲の大勝負に似ている。突然成功すると、人々は誰もがそれを偉業だと認める。しかし一朝にして偉業が完成し、その変化が非常に急だった場合、完成後には以前の意識に少しずつ近づいていく。したがって数年後には、当初人々を驚かせたほどの大変化とは感じられなくなる。反対に、徐々に改革を進める場合には、目覚ましい功績を立てる余地がないように見えるかもしれないが、自然な推移の中で、数年後にはいわゆる偉業と同じ効果を収めることができる。


命を投げ出す覚悟でフランス革命に賛同したイギリスの文人たちも、次第に以前の状態へ近づいていった。西洋を急激に称賛した日本の文学者たちも、少し落ち着く時間を得れば、次第に日本的なものを再び表に出すようになったのではないか。文学以外の趣味を見ても、謡曲の流行、茶の湯の復活、弓術や柔道の再興、日本画、木版、骨董への熱中など、西洋化が進んだときに捨てたものを、再びごみの中から拾い上げるように取り戻し、熱心に求めている。この力は、西洋を重んじる立場と日本を重んじる立場とが精神的な平衡を得るまで続く。したがって、いわゆる欧化主義も、最初に人々を驚かせたほど激烈な変化ではなく、初めから徐々に西洋の文物を輸入していた場合と同じ結果に行き着くのは明らかである。


しかしこれは本題から外れるので、付随的に述べるだけにする。


本題に戻ろう。先の六種類から例外的な場合を除けば、現在のものと古いものとの結合、現在のものと古い複数のものとの結合、現在のものと新しいものとの結合、現在のものと新旧両方のものとの結合、という四種類が残る。[原文の数式では四種類が列記されているが、OCRによって記号の対応が崩れているため、ここでは説明可能な範囲だけを記す。]これら四種類は内容こそ異なるが、推移の仕方は先に述べた原則に支配される。式中の「新」という記号の意味も、これまでの説明からおおよそ推測できるだろう。ここでは四種類のうち(い)と(ろ)を選び、簡単な例を挙げる。


(い)の場合を「復興」(revival)という。文学史には復興の例が非常に多いが、最も顕著なのはルネサンス(Renaissance)である。この過去を懐かしみ、昔へ向かおうとする意識がどのように生まれ、世を席巻し、後代に影響したかについては、専門家による大部の研究があるので、ここでは述べない。


比較的小規模だが学者の注目を集めたものに、十八世紀末のゴシック復興(Gothic Revival)がある。この復興はギリシア・ローマ古典とは関係のない中世的な意識を再現したもので、ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)がストロベリー・ヒル(Strawberry Hill)に建てた邸宅などは、その先駆と見てもよいだろう。さらにウォルター・スコット(Walter Scott)は、小説や詩歌にこの趣味を発揮し、時代の嗜好を大いに刺激したことが広く知られている。マクファーソン(Macpherson)が『オシアン』(Ossian)を公刊したことも、パーシー(Percy)が『古英詩拾遺』(Reliques)を集めたことも、同じ復興趣味に動かされた結果である。近年のウィリアム・モリス(原文OCR:Win Morris)が自ら古代の雰囲気をつくって好んでその中に暮らし、読者にも遠い過去の世界を歩き回らせたのも、その好例にほかならない。


(ろ)の場合は「結合による復興」と呼ぶ。この呼び名が多少ぎこちないことは認める。式に示したように、種類の異なる古代の二つ以上の意識、あるいは二つ以上の潮流が現在の意識と結びつき、互いに溶け合う場合を指す。たとえばミルトン(Milton)の詩がそうである。彼の作品の題名を見ると、『快活な人』(L'Allegro)、『沈思する人』(Il Penseroso)、『コーマス』(Comus)、『リシダス』(Lycidas)など、いずれも古典に基づいている。さらに詩の中に装飾として引用された神話や故事は、入り乱れ、われわれのような知識の乏しい者を圧倒する。彼がケンブリッジにいた頃、好んでオウィディウス(Ovid)を愛読したという事実からも、古典の影響は明らかである。


ところが、彼の別の作品を読むと、『失楽園』(Paradise Lost)、『復楽園』(Paradise Regained)、『闘士サムソン』(Samson Agonistes)など、題名からして様子が異なる。内容に至っては、先に挙げた作品と大きく趣が違う。ここからわかるのは、ミルトンが古典に精通すると同時に、新旧の両聖典に深く親しみ、その結果、双方の精神が一つになって作品の上に輝き出ていることである。彼は唯一神の子であると同時に、多神教の子でもある。ギリシアとヘブライ、[原文の対比語の一部は判読不能]と聖書は、常識的には調和しがたい。それなのに時代の変化が、彼に両方を同時に復活させ、自由に使いこなすことを可能にしたのである。


ただし、これは大づかみな説明にすぎない。さらに細かく研究し、批評の目で見るなら、『失楽園』一編だけでも、過去と現在のさまざまな意識を含み、それらが複雑に織り合わされていることがわかる。文学史家コートホープ(Courthope)は『英詩史』(History of English Poetry、第3巻413頁以下)で、そこに含まれるものを、(一)[原文判読不能]派の神学、(二)騎士物語、(三)イタリア・ルネサンスの精神などと列挙している。


(三)暗示の方向とその生命


この項も十分に詳しく論じることはできない。要点だけを一言で述べる。


文学界がある時期に新しい暗示を受けると、それを表現する書籍が次々と出版されるのが普通である。それらは同じ暗示に動かされているので、内容が互いに似通っている。その類似した作品のうち、どれが最も長く生き残るのかという問題は、理論的にも実際的にも興味深い。


この問いに接した十人のうち七、八人は、最も価値のある作品が最も長く残るはずだと断言して疑わないようである。その判断が必ず間違っているとは言わない。しかし、見落としてはならない要因を計算に入れていない。作品の良し悪しを測る基準は、われわれの趣味にほかならない。しかも趣味は絶えず変化するが、その変化は必ずしも進歩を意味しない。したがって「最も価値のある作品」と認められたものも、趣味がまだ変化していない今日において価値があるというだけである。厳密には、未来にまで通用する判断とは言えない。


仮に善悪の基準には動かしがたい根拠があり、今日の判断を後世にも適用できると想定しても、良いものが残り、悪いものが滅びると考えるのは幼稚である。文学をいったん離れて、ほかの事柄を見れば、この事情はすぐ理解できるだろう。たとえば人間社会における成功と失敗の歴史が、まさにそうした事実を示している。適切な才能のある人が適切な地位に就き、道徳心に富む人が世の尊敬を受けるべきだというのは、古くから変わらない建前である。しかし事実は決してその通りに進んできたわけではない。


凡庸で劣った人が優れた才能の持ち主と見なされ、狡猾な人が君子と呼ばれ、卑しい人物が紳士の地位にいる。こうした世のありさまは、私であろうと他人であろうと、昔であろうと今であろうと、近い将来も遠い未来も、おそらく変わらないだろう。有史以来、善人と呼ばれてきた人々の中には、多くの悪人もいただろうし、悪人と呼ばれた人々の中にも、多くの善人がいただろう。その徳をたたえ、善行を表彰されてしかるべき偉大な人物でありながら、忘れ去られて今に伝わらない人が、いったい何人いることか。


これを考えると、文学作品も同じ運命に遭い、[原文「覆瓢の災」:OCRまたは典拠に疑義あり]によって空しく失われ、世間から姿を消した作品が多いことを認めなければならない。ホメロス(Homer)と同程度の作品を書いた人が、必ずホメロスと同程度に後世へ伝わるはずだと思うのは、「そうあるべき」理想世界の法則を、断りもなく「現にそうである」現実世界に適用する単純な考えにすぎない。ホメロス以上の名作が消滅したことはないと、誰が保証できるだろうか。人間はそれほど物事を見抜くことのできる動物でも、公平な動物でもない。「こうあるべき」という世界を夢見ながら、いつまでも「現にこうである」という世界をさまよう愚かな動物なのである。


理想世界の法則は、私がここで扱うところではない。作品の価値だけが作品の寿命を決めるわけではない以上、価値以外に寿命を左右する条件を二、三挙げ、読者の参考に供したい。


(い)同じ暗示を表現した作品が前後して出版される場合、その暗示を最初に表現したもの、恐らくはその暗示を最初に得たもの、言い換えれば作品を最初に公刊したものが、最も長く生き残りやすい。最初の作品に触れたときの刺激は明瞭で強烈なので、その作品は人々の意識に最も強く刻まれ、またその意識の惰性を次の時代に伝えやすいからである。


たとえばスモレット(原文OCR:Bollett/Smollett)のピカレスク小説(picaresque romance)の場合がそうである。歴史を調べると、彼がこの種の小説を書き始めてから一七六〇年頃までに、他の作者による同種の著作がすでに十三、四種類にも達していた。それなのに、今日まで伝わっているものを探すと、ほとんど知られていない。まるでスモレット以外に冒険的な奇談を書いた者がいなかったかのようである。歴史に名を残すものだけで十三、四種類もあったのだから、歴史家が記録し損ねたものも少なくないだろう。その短命な作品の中に、スモレットをしのぐものが一つもなかったとは言い切れない。それでも彼だけが名声を独占するのは、作品の寿命が価値だけではなく、先に出たか後に出たかという、見落とせない要因にも左右されるからである。


日露戦争のとき、港口閉塞の壮挙に参加した者は前後に数多くいた。それでも軍神とされたのは広瀬中佐ただ一人である。なぜ彼だけが軍神とされたのかと問えば、その最後が最も壮烈だったからだと答えるだけでなく、彼が最初に先鞭をつけたという大きな原因も挙げなければならない。


先駆者であることは、閉塞隊で成功を生むだけでなく、文学界においても成功の機会となる。経済界でも、需要に応じて最初に供給の道を開いた者は、世間や後世の注意を最も引きやすい。その後に現れた者は、たとえ質の面で優れていても、名声や寿命の点で先駆者と肩を並べることができない。これは日常よく見聞きするところである。明治の元勲が、それほどの学問や才能を持たない場合でも日本の政治を代表するかのように振る舞えるのも、まさにこのためである。


この場合、暗示の生命は一人か二人の代表者を選び、その人々に自分の生涯を託しているかのように見える。そして代表者として選ばれる資格は、代表にふさわしい価値そのものより、先に着手したかどうかによって決まることが多いように思われる。


(ろ)同じ暗示を表現する作品が次々に出版されても、暗示が自分の代表者を選び、それによって後世に伝わろうとしない場合もある。その場合は、その集団の作品がすべて後世に残るか、すべて消滅するかのどちらかを考えるほかない。しかし全作品が後世に残る機会は、実際には非常に少ないだろう。


自分の家を考えてみても、数十代前までさかのぼり、先祖の位牌を一つ残らず保存している人はまずいないだろう。十人、二十人をまとめて一つの位牌にするか(代表を立てる場合)、古いものが自然に失われるままにして顧みないことが多いはずである。位牌でなくても、先祖代々の俗名をすべて記憶して忘れない人など、見つけるのは難しい。したがって集団の各人が全員後世に残るより、全員忘れ去られる可能性のほうがはるかに大きい。


十八世紀半ば以後、「何々の冒険」(Adventure of ...)という題をつけた冊子が流行に従って次々に出版された。たとえば『小犬の冒険』(Adventure of a Lapdog、一七五一年)、『ホロホロ鳥の冒険』(Adventure of a Guinea-hen、一七六〇年)、『黒い上着の冒険』(Adventure of a Black Coat、一七六〇年)、『紙幣の冒険』(Adventure of a Bank-note、刊行年は原文OCRで不明)、『猫の冒険』(Adventure of a Cat、一七八一年)、『ルピーの冒険』(Adventure of a Rupee、一七八二年)、『ノミの冒険』(Adventure of a Flea、一七八五年)など、数え切れないほどあったようである。しかし、どれも短命で、今では誰も読まない。


なぜ代表者を残して後世へ伝えなかったのかと問えば、代表者が必要だと感じられるほど、その時代の人々に強く意識されなかったからだ、と答えるほかない。個々の作品の価値は、ここでは論じない。このような場合、この部類に属する作品はどれも同程度に意識されている。したがって特定の一作を選んで他を代表させるだけの理由がなく、無理に選ぼうとすればどれも同じように当てはまるので、結局、代表者を定めないまま終わるのである。しかし同種の作品全部を記憶することもできないから、最後にはどの作品も忘れ去られるだけとなる。


たとえば、美しい女性が婿を選ぶ場合に似ている。候補者は二十人、三十人でも足りないほど多いが、どの人も同程度の資格を持っている。結婚相手として迎えるなら全員を迎えなければならないように思われる。しかし実際に必要なのはただ一人だから、結局は全員が落選し、その女性の心には一人も残らなくなるのである。


(は)同じ暗示を表現する作品が前後して出版された場合、最初の作品も消え、最後の作品も消えて、中間に現れた作品だけが強く人の心を動かし、長く世間に記憶されることがある。その心理を分析すると、次のようになる。


初めは暗示があまりに珍しく、人々を尻込みさせたり、反対にあまりにありふれているように思われて、まったく好奇心を引かなかったりする。しかし、ある事情から徐々に勢いを増し、ついに一定の時期を迎えて一般の意識の頂点に達する。その時期にうまく合わせて発表された作品は、比較的よく世間に歓迎されるはずである。


一度歓迎された暗示も、やがて意識の頂点から下がっていく。したがって、その好機を逃して後から出版されたものは、人々の嗜好に合わなくなり、成熟し過ぎて陳腐になったものとして、ついには一般の注目を引かなくなる。


要するに集合意識が頂点に達するまでは準備の時期である。その間に生まれた作品は、しばしば後から来る作品の犠牲となり、後続のために道を開くだけで終わる。反対に頂点を過ぎて出版された作品は、すでに下り坂に入った時運にぶつかり、古いやり方に固執して、尽きかけた油に灯をともして長い夜を少しでも照らそうとするようなものとなる。


子どもに読書を教えると、初めは嫌がるが、やがて面白さを理解し、さらにその面白さが頂点に達する。最も深く読書の趣味を身につけた時期に読み終えた本は、まだ修養の途中で覚えた本よりも深く長く心に刻まれるだろう。言い換えれば、修養期に教えられた本は、後の本を子どもの心に長く残すための働きをしたとも言える。文学作品の盛衰にも、これと似た事情がある。


先に挙げたゴシック復興(Gothic Revival)は、十八世紀に始まって徐々に進み、十九世紀に入って人々の意識の準備がおおむね整ったところで、スコット(Scott)の小説が華々しく頂点に輝いたのである。


以上の三つの場合を図に表すと、(い)は初めに優勢で、その後次第に衰退する。(ろ)は[原文の図および図説の一部判読不能]、(は)は初めから勢いを増し、中間で頂点に達する[後半の図説はOCRによる語順混乱のため判読不能]。


文学論として扱うべき事柄は、以上の五編ですべて尽くされたわけではない。この章で述べたことはいずれも、敷衍して詳しく論じるだけの価値がある。しかし時間が足りず、思うようにすることができなかったため、補遺としてその大要を簡単に述べた。読者にはこの事情を理解してもらいたい。


すでに書き終えた五編についても、全体の配置、議論の詳しさと簡潔さ、段落の区切り、推論の進め方など、満足できない点が非常に多い。忙しい中でわずかな時間を見つけ、書きながら印刷し、どうにか仕事を終えられただけなので、考えを練り文章を推敲する暇がなかった。そのため、読者から多くの批判を受けることになるだろう。


[以下、原資料には明治四十年の発行・印刷に関する奥付と、蔵書管理番号などがOCRとして混入する。本文ではないため、現代語訳の対象から分離する。奥付の一部は文字配置が崩れており、正確な翻刻には原本画像との照合が必要である。]


【訳注・要確認箇所】

1. OCRの第2・3行に、宗教事情から新世界発見までの文章が重複している。意味上同じ本文なので一度訳した。

2. Fの推移に関する添字・図式はOCRで破損。数式の厳密な復元は行っていない。

3. 道徳と文学のウォードの引用には、人名に判読不能箇所がある。

4. 各著作の英語題名は、可能な範囲で既知の表記に直し、OCR原形を適宜併記した。出典本文との厳密照合は未実施。

5. 終盤の図説明・奥付はOCRの読み取り順に顕著な乱れがある。

【翻訳について】

提供された国立国会図書館OCR由来のテキストを底本とし、論説文体(だ・である調)で訳した。F・fなどの記号と英語名は原則として残した。OCRの重複箇所は重複である旨を示し、文字列が破損して原文を確定できない箇所は[原文判読不能]とした。これは原本画像との全箇所照合を済ませた校訂版ではない。見出しと段落の分割は読みやすさのために整理している。